会いに行きたい神様のはなし

今年行きたい神社をみつけました

こんにちは!海月です。

いつも娘ちゃんの話ばっかしてますが、今回は全然違う話です。

ここ数年ご無沙汰だった、神社・パワースポット巡りに関することです。久々に周らないといけない神社が出てきたな…と感じています。

目に見えない世界のお話が好きな方はお付き合いいただけたら嬉しいです😊

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明治以前の横浜の神様って誰だったんだろう、という疑問

昨年、横浜成田山で厄除け祈願したよ!って記事を書いたんですが、(これね↓)

今年も家族で行ってきました。私の本厄と旦那氏の後厄があるので😅ついでに方難もあったw

今回は電車で行きました。娘ちゃんも歩けるし、渋滞や駐車場のことを考えずにすむので👍

もう2回目ですし、スムーズに横浜成田山も伊勢山皇大神宮も参拝できました。娘ちゃん去年は御護摩のご祈祷怖くて泣いちゃったけど、今回はちゃんと座って聞いてました。

笑顔のくらげ
くらげ

めちゃくちゃ大きな太鼓が鳴らされるのに興味津々!

無事に滞りなく終わって、さてご飯でも行きましょうかねと思ったとき、ふと

海月アイコンノーマル
くらげ

ここって地名は「野毛山」だけど、伊勢山でもあり成田山でもあるんだな…

と思ったんですよね。野毛山公園、野毛山動物園などと名前は残っているけれど、信仰の場所としては他の山の名前が使われているのです。伊勢山皇大神宮の公式サイトによると、

伊勢山皇大神宮は創建が明治3年(1870年)。当時の県知事・井関盛艮(いぜきもりとめ)が、「急速な近代化・西洋化の流れの中でも、横浜の人々が日本の国柄を見失わない為に、人々の心の拠り所、また横浜の象徴となるものとして、国家を鎮護する天照皇大神を祀る荘厳な神殿を築く」と告諭し、戸部の地にあった伊勢の神宮より勧請されたと伝わる古社を再興し、港を一望する丘の上へと遷座しました。

https://www.iseyama.jp/about/history

とあります。横浜総鎮守となったのは明治以降のことなのですよね。この頃に野毛山も伊勢山と呼ばれるようになったとのこと。

ちなみに成田山の方はというと、

日米通商条約の締結により港が開かれまして、一漁村でありました横浜は全国各地から押し寄せる移住者を吸収して一躍国際港の街となりました。これらの移住者の中には成田不動尊を信奉する東京や千葉の人々が非常に多く熱烈なる念願のもと、成田山大本山に願い出るに至り明治3年、遙拝所が設けられました。
遙拝所の本尊には成田山の観音院の不動明王像を遷座奉安しました。これが当院の開創でございます。

http://yokohamanaritasan.com/history/

とあります。こちらも文明開化の流れによって、明治以降に設けられたようです。

そうなると、「それ以前の『一漁村』だった頃の信仰ってどうなってたんだろう…」ってやっぱり気になってしまいます。

その土地に根付いた信仰って、きっとあったはずなので。

気になったら早速調べたくなってしまう私w ずっとご無沙汰だったフィールドワーク再開の予感?

ひとまずネットで調べられる範囲のことは調べてみました。

子神社(ねのじんじゃ)について

調べてみてすぐに見つかったのですが、長くこのあたりで信仰されてきた「子神社(ねのじんじゃ)」があることがわかりました。

こちらのページが歴史的な流れも詳しく載っていてわかりやすかったです😊

神奈川県横浜市中区日ノ出町に鎮座する神社。
旧社格は村社で、日ノ出町・初音町・黄金町・赤門町・英町・東ヶ丘町の鎮守。
かつては「人不入斗宮(いといれずのみや)」とも称されたと云うが、現在は「子神社(ねのじんじゃ)」と読み、子年(ねどし)でお馴染みの「ねずみ」を由来とする社号を有する。
大国主命を祀り「横浜の大国主さま」とも称され崇敬を集め、縁結びの神としても知られる。
現在は「伊勢山皇大神宮」の兼務社となっている。

https://jinjamemo.com/archives/nenojinja_hinodecho.html

神社庁のページによると、御由緒はこんな感じ。

神社明細帳に「推古天皇の御宇創建と称す、承安年中より代々赤門東福寺これが別当たりしも、同寺は長禄元年今の地に移転、以前毎歳海賊の略奪を受けしと、天正3年の兵火に罹り、また文政8年火災を蒙りしをもって本社の古記旧伝共に烏有に帰しその詳細を知るに由なしと雖ども、里俗に里鎮守又は『人不入斗宮』と唱えたり。文禄3年の検地水帳所載の神楽畑四畝十六歩と共に松平越前守が陣営中に編入せられし際、本社の四隅に霊地保護の為、禁制札を掲ぐ。享保8年社地東西43間南北9間と御改めありて神事を此処に奉行せり」とある。
 境内の楠木は樹高20メートル、周り1.8メートルで昭和48年横浜市より名木古木に指定せられたが、往時は「人不入斗宮」と称されたほど樹木鬱蒼たる社叢であった。

https://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=259&cd=1203012&scd=&npg=0

推古天皇の時代からっていうと西暦600年頃。これはすごい、1400年くらいこの地にお祀りされてきたらしい。あまり史料が残っていないとのことで詳細が分からないのが残念……。

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この辺りってずっと出雲系の信仰があったところなのに、後から伊勢系を招いたのか…

今は伊勢山皇大神宮の兼務社となっているって、なんか面白い。規模が小さい版国譲り神話みたい
確かに伊勢山皇大神宮で御朱印をいただこうとすると、子神社のものもあって、なんで?って気にはなっていたんですよね。。。そこからリサーチには至ってなかった…

子神社、交通の便もいいところに鎮座されているので一度行ってみなければ。

新年の決意

ちなみに子神社以外にも気になっている(というか、ずっと気になってたけどタイミングを逃し、今度こそ行かねばという感じ)神社があって、関内と元町の厳島神社。あとはできれば横浜市内各地に点在している杉山神社もめぐりたい。

今年は行きたいな…というか、行く!😊

ああホント、私だけ日曜日が2日分にならないかな・・・笑

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